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留日学生経亨頣氏帰国後の活動

    経亨頣氏(1877‐1938)、字子渊、上虞人。1902年日本に留学、まず宏文学院の師範速成科に入り、1905年3月に、浙江の官費で東京高等師範学校に数学を専攻した。1908年春、浙江官立両級師範学堂が成立した時に思い切って、中退して当学堂の教務長を就任した。約一年後、教務長をやめて、また日本へ行って勉強を続けた。1910年春、東京高等師範学校の数学物理科を卒業、帰国後、両級師範学堂の教務長を担当し続けた。民国元年(1912年)、浙江官立両級師範学堂は浙江両級師範学校と改名した時、校長兼浙江省教育会会長として、一躍に浙江省教育界の核心人物となった。1913年、浙江両級師範学校優級部が停止、初級部は旧址で浙江第一師範学校に改設した時にも、校長の任に就いた。「五四」運動の時、時代の流れに応じて、民主、科学を唱え、大胆な教育改革を行った。したがって、反動的な当局に排斥され、1920年にやむえなく辞めた。その後、上虞の陳春瀾氏の援助のおかげで、故里で春暉中学校を創設し、校長となった。のち、寧波浙江省第四中学校校長、広州中山大学副校長、北京師範大学教授、国民政府常務委員、全国教育委員会会長を歴任した。

  経亨頤氏は清末明初浙江教育界から出てきた傑出な人物であった。長期に亘る教育実践の中で国内外の先進的な教育思想を広く取り入れ、また適時に教育方法の改革を実施した。例えば、「人格教育」を唱えた一方、個性を束縛、人格をぶち壊す封建的な教育を極端に反対し、健全な人格は徳、智、体、美を揃って、全面に発展すべきだと主張していた。省立第一師範学校にいた時、「勤、慎、誠、恕」を学校の訓令にさせ、人生の座右銘にもなろうと学生を励ました。彼は先生が学生人格の培養者と教育のポイントであるから、品性の優れたり、知識に豊富だったり、教育に熱心だったりする人でなければいけないと思っていた。「五四」運動の時期、学生の愛国の民主闘争を励まし、支持し、「与時倶進」(時代と共に推し進めよう)との教育方針を提唱した。

  経亨頤氏の教育思想、教育管理における改革は浙江省ないし全国の教育界で積極的な役割を果たした。

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